日蓮正宗・創価学会は神社参拝禁止? 理由を万年救護本尊から紐解く

日蓮正宗・創価学会は神社参拝禁止?

日蓮正宗(にちれんしょうしゅう)や創価学会の信者がなぜ鳥居をくぐらず神社参拝を避けるのか、その背景には部外者には計り知れない根深い教義と歴史が存在します。先日、原口一博氏と及川幸久氏の対談の中で、原口氏が、なんで創価学会員は神社に行かないのか、と素朴な疑問を投げかけていたシーンがありました。この問いこそが、多くの日本人が日蓮門流に対して抱く違和感の正体であり、本記事を執筆する大きなきっかけとなりました。

日蓮正宗 創価学会 が神社参拝を禁止する理由というテーマについて、表面的な教義の解説に留まらず、最新の知見と独自の考察を交え、多角的に検証していきます。日蓮大聖人が遺したとされる万年救護本尊(まんねんくごのだいほんぞん)の記述や、伊勢神宮に刻まれた隠された足跡、さらには後世の弟子たちによる情報の書き換えという歴史の闇にまで踏み込みます。

この記事では、単なる宗教論争を超え、現代人が抱える精神的な縛りや身体的な健康、そして本来の日本人が持っていた太陽神への帰依という原点についても考察を深めていきます。なぜ彼らがこれほどまでに神社を拒絶するのか、その論理的な建前と、隠され続けてきた驚くべき物証を一つずつ紐解いていきましょう。

この記事のポイント

  • 謗法や神天上の再失という思想に基づいた神社参拝禁止の教義的な建前
  • 万年救護本尊に天照大神が刻まれている事実と日蓮大聖人の本来の神意
  • 伊勢神宮での百日祈願や三大誓願に込められた太陽神への深い帰依の足跡
  • 組織運営の都合や歴史的対立によって改ざんされた教義と暗殺説の真相
目次

日蓮正宗や創価学会で神社参拝禁止とする理由と背景

なぜ彼らは神社参拝を「悪」としたのか?(建前と教義の正体)

日蓮正宗や創価学会の会則を隅々まで読み込んでも、実は「神社参拝を禁ず」という明確な一文を見つけることは困難です。しかし、現実には多くの信徒が鳥居をくぐることさえ最大の罪悪であるかのように拒絶します。規約にないはずの禁止ルールが、なぜこれほどまでに信徒の行動を強く縛り続けているのでしょうか?

その背景には、仏教の正道を乱す行為を戒める「謗法(ほうぼう)」という概念が、戦後の組織運営において極めて政治的に利用されてきた歴史があります。本来、富士門流の古風を留める千葉県の保田妙本寺(日郷門流)などでは、神社参拝を「地獄に落ちる悪」として拒絶するような偏狭な教えは存在しませんでした。万年救護本尊に天照大神の名が刻まれている以上、神社を否定することは大聖人の本意を否定することに他ならないからです。

しかし、当時の指導層らが教団を巨大化させる過程で、この「神社参拝禁止」は信徒を外部から遮断し、組織への忠誠心を高めるための「精神的な城壁」として機能し始めました。牧口・戸田両会長の投獄という殉教の歴史を「国家神道への不服従」という物語に昇華させ、神社を「敵」と定義することで、信徒に選民意識と強固な連帯感を植え付けたのです。

つまり、私たちが目にする「鳥居さえくぐれない頑なな姿」は、日蓮大聖人の本意ではなく、後世の組織管理のために仕掛けられた「教義の添加物」による影響と言わざるを得ません。保田妙本寺が日蓮正宗に一時併合されていた時代、多くの学会員が押し寄せながらも、同寺が本来の神仏共生の精神を守り抜こうとした歴史こそが、現在の歪んだ教条主義に対する無言の批判となっているのです。

謗法払いの徹底と諸天善神の思想がもたらした拒絶反応

「謗法払い」とは、日常生活から正法以外の宗教的要素を完全に排除する行為を指します。日蓮正宗の歴史においては、入信時に家庭内にある神棚や他宗派の仏壇を撤去・焼却する儀式が行われることもありました。この徹底した排除の論理を支えるのが「諸天善神(しょてんぜんじん)」という思想です。 この思想では、日本の八百万の神々は法華経の題目という「法味(ほうみ)」を食して初めてその守護力を発揮できるとされます。つまり、正しい仏法が語られない場所にいる神々は力を失い、人々を守ることはできないという解釈です。このロジックが転じて、当時の教義解釈においては、本来の神が去った社には負の影響が入り込み、人々に災いをもたらすという拒絶反応へ繋がりました。神社参拝を「迷い」の行為と定義するこうした視点は、信徒が鳥居をくぐることさえも霊的なリスクを伴う不浄なこととして避ける独自の規律を生み出しました。

善神は社を捨て天へ帰るという独自の終末論的な世界観

日蓮大聖人が著した『立正安国論』には、当時の日本が災害や疫病に見舞われた理由として「神天上の再失(しんてんじょうのさいしつ)」が説かれています。これは、人々が正しい教えを捨てて誤った信仰(邪法)に走ったために、国土を守るべき善神たちが社を捨てて天に帰ってしまったという衝撃的な世界観です。 主がいなくなった神社には「悪鬼・魔神」が入り込み、そこを拝む人々から精気を奪い、社会に災いをもたらすと説かれます。この終末論的な視点は、信徒にとって神社参拝を単なる「マナー違反」ではなく、社会悪に加担する「恐ろしい行為」に変質させました。神社の境内はもはや神聖な場所ではなく、魔の巣窟であるという認識が世代を超えて共有されることで、参拝禁止のルールは心理的な恐怖心とともに強固なものとなりました。科学的根拠を超えた、霊的な安全保障という側面がこの厳しい規制の根底に流れているのです。

戦時中の国家神道への抵抗が組織のアイデンティティに

宗教的な教義だけでなく、近代史における政治的な衝突も神社参拝禁止を正当化する大きな要因となりました。第二次世界大戦中、日本政府は国家神道を中心に国民の精神統合を図り、あらゆる宗教団体に伊勢神宮の神札(神宮大麻)を祀ることを強制しました。 これに対し、日蓮正宗とその信徒団体であった創価教育学会(現在の創価学会)は、信仰の純潔を守るためにこの要求を断固拒絶しました。その結果、初代会長の牧口常三郎氏や二代会長の戸田城聖氏は治安維持法違反などで投獄され、牧口氏は獄死するという悲劇に見舞われました。この「不当な権力による神社参拝の強要に命を賭けて抗った」という殉教の歴史は、組織にとって最大の誇りであり、アイデンティティとなりました。現在でも神社を避ける行為には、単なる教義遵守を超えた「権力に屈しない」「精神の自由を守る」という歴史的な抵抗の記憶が刻まれているのです。

他宗との差別化を強めるための過激な宗教的純血主義

組織が拡大し、社会的な影響力を増していく過程において、他の宗教団体との境界線を明確にすることは、内部の結束を固めるための有効な手段となります。神社参拝の禁止は、信徒に対して「自分たちは世俗の人間とは違う、選ばれた正しい信仰を持っている」という選民意識を植え付けるフィルターとして機能してきました。 日本の文化に深く根ざした神社文化(初詣や七五三、お祭り)から意図的に距離を置くことは、日常生活のあらゆる場面で「信仰」を意識させる装置となります。この過激なまでの純血主義は、外部からの批判を浴びる一方で、内部においては強烈な連帯感を生み出します。共通の「禁忌」を持つことで、信徒同士の結びつきを強化し、他宗派への埋没を防ぐという、社会学的な戦略が透けて見えます。結果として、この参拝禁止というルールは、組織の独自性とブランド力を維持するための「目に見える壁」として、現在も重要な役割を果たし続けているのです。

信仰の対象を一本化するための組織運営上の防衛本能

宗教組織を永続的に運営していく上で、信徒の関心やエネルギーが分散することは最大の懸念事項です。神社参拝や他宗教の儀式を許容してしまうと、信徒のアイデンティティが「多神教的」に曖昧になり、組織への忠誠心や寄進の動機が薄れるリスクがあります。 これを防ぐために、信仰の対象を「御本尊」という唯一無二の存在に一本化し、他の聖域を「悪」や「無益」と断じることで、信徒の精神的・経済的なリソースを組織内に集中させる防衛本能が働いています。これは、人体が異物を排除して自らの恒常性を保とうとする免疫機能に似ていますが、宗教組織においてはそれが排他的なルールとして現れます。教義的な理由を前面に出しながらも、その裏側には、広大な神道のネットワークに信徒を奪われないための組織的な生存戦略が存在します。一本化された信仰体系は、信徒に迷いを与えない一方で、組織の統制を容易にするという合理的な側面を持っているのです。

日蓮正宗や創価学会が神社参拝禁止とする理由の真実に迫る

万年救護本尊が語る衝撃の真実:右脇に刻まれた「天照大神」

画像引用たまいらぼ出版陰陽二相一対の曼陀羅本尊
Aiによる画像判定:日蓮大聖人の御本尊において、中央の題目のすぐ脇は「最上席」とも言える場所です。そこに日本の象徴である天照大神を配置しているということは、大聖人がいかにこの存在を仏法の守護神として、また日本の柱として重く見ていたかの証左となります。

日蓮大聖人が佐渡流罪という過酷な状況下で認められた「万年救護本尊(まんねんくごのだいほんぞん)」は、千葉県の保田妙本寺に格護される門流の至宝です。この本尊には、現代の教団が語る「神社否定」とは真っ向から対立する衝撃的な特徴があります。中央の題目のすぐ傍ら、極めて重要な位置に「天照太御神」の名が明記されているのです。

伊勢白山道のリーマン氏は、この本尊の構成について、さらに踏み込んだ洞察を示しています。それは、「日蓮大聖人は、本来であれば中央の『南無妙法蓮華経』の場所に、『南無天照大神』と記したかったのではないか」という極めて大胆な仮説です。これは、法華経という宇宙の真理さえも、日本という国においては太陽神(天照)という形をとって現れるという、大聖人の究極の「神仏一体」の悟りを代弁する視点といえます。通常の本尊よりも神名が際立って配置されている姿は、単なる守護神の勧請を超え、太陽神への深い帰依を隠しきれなかった日蓮の魂の叫びのようにも見えます。後世の教団が作った「神社参拝禁止」という壁は、本尊に刻まれたこの「太陽神への回帰」というあまりに巨大な真実を覆い隠すためのものだったのかもしれません。

隠された日蓮の足跡。伊勢神宮「誓願の井戸」に込めた願い

日蓮大聖人が立教開宗という大きな決断を下す直前、伊勢の地を訪れていた事実は、現在の一般的な日蓮伝からは意図的に伏せられている傾向があります。当時の伊勢外宮の祭祀を司っていた度会(わたらい)氏周辺で学び、外宮近くの天台宗常明寺に宿泊していたという記録が残されています。特に注目すべきは、常明寺のほど近くにある「誓願の井戸」の存在です。大聖人はここで毎朝身を清め、百日間にわたって伊勢神宮へ参拝し、自らの誓願を神前に捧げたと伝えられています。

この背景について、独自の霊視による深い考察を展開する伊勢白山道のリーマン氏は、日蓮大聖人が「法華経を通して国民を天照太御神への信仰に導く」という壮大な本意を持っていたと指摘しています。その誓願こそ、後に『開目抄』で宣言される

  • 我、日本の柱とならん。
  • 我、日本の眼目とならん。
  • 我、日本の大船とならん

という三大誓願(さんだいせいがん)の魂の叫びであったと考えられます。仏教という枠組みを超え、日本の神々の中心地である伊勢でこれほどまでに敬虔な祈りを捧げた事実は、彼が法華経の奥に「太陽神の意志」を感じ取っていた証に他なりません。霊視という視点から浮かび上がるのは、日本の柱(柱)、日本の眼目(智恵の光)、日本の大船(救済)という誓いが、国土を守護する天照大神の徳と完全に重なり合う姿です。この「誓願の井戸」に刻まれた足跡こそ、日蓮大聖人が日本の国体と神道の霊性をいかに重んじていたかを示す、歴史のミッシングリンクといえるでしょう。

日蓮の名の由来と誕生の地が象徴する太陽神への深い帰依

「日蓮」という名には、太陽を意味する「日」と、真理を象徴する「蓮(はす)」が組み合わされています。彼が誕生した安房の天津小湊は、日本国内でも最も早く初日の出を拝むことができる聖地の一つです。この地で産声を上げ、昇る太陽の圧倒的なエネルギーを浴びて育ったことが、彼の霊性の根幹を形成しました。 幼名を「善日丸」と名付けられたことからも、周囲が彼に太陽のような輝きを期待していたことが伺えます。1253年、清澄山の山頂で太平洋から昇る太陽に向かってお題目を唱えた立教開宗の儀式は、まさに太陽神(天照大神)と宇宙の真理(法華経)を自身の生命の中で合致させる行為でした。日蓮大聖人にとって太陽は単なる天体ではなく、万物に平等に光と熱を注ぐ、慈悲の象徴たる神そのものであったと考えられます。誕生の地が持つ地理的な特性と、彼が生涯名乗り続けた名前には、日本独自の太陽信仰への深い帰依が刻み込まれており、それを無視して日蓮の精神を語ることはできません。

清澄寺のホームページはこちら

後世の弟子が隠したかった師匠の神仏共生の精神と暗殺説

日蓮大聖人の最期は、一般的には「病死」とされていますが、リーマン氏の洞察によれば、大聖人自身は信頼していたはずの身近な弟子の中に自分を亡き者にしようとする動きがあり、毒を盛られていることを自覚していたとされます。身延山を降りたのは、単なる「静養」のためではなく、毒の影響で衰弱した身体を癒やし、あるいはこれ以上の害を避けるための苦渋の選択であったという視点です。

ここで浮上するのが、犯人は外部の人間ではなく、師を最も近くで支えていたはずの日興上人以外の五人の高弟(老僧)の誰かであるという衝撃的な推理です。リーマン氏は、師匠への敬意からその実名は伏せていますが、大聖人が語り始めた「太陽神への回帰」という巨大な真実を、既存の仏教の枠に閉じ込め、組織管理に都合の良い排他的な教義へと書き換えようとする勢力が内部にいた可能性が示唆されています。

この歴史の闇の中で、佐渡流罪にも同行し、生涯を大聖人に捧げた日興上人の存在が際立ちます。日興上人は、師の最も近くでその「本意」を直接聞き、天照大神が明記された「万年救護本尊」の重みを誰よりも理解していました。だからこそ大聖人の没後、他の弟子たちが神社を否定し、教義に「組織運営の毒」を加えていくことに激しく抵抗したのです。

特筆すべきは、日興上人が大石寺を創建した際、その近隣(現在の富士宮市河合付近)に、自ら伊勢神宮から勧請した天照大神を祀る社を建立したという伝承がある事実です。これは単なる「祟りへの怯え」ではなく、「他の弟子たちが消し去ろうとした師の神仏共生の精神を、物理的な形として後世に遺す」という、命懸けのメッセージだったのではないでしょうか。日興上人が後に「身延離山」を決行したのは、師を死に至らしめた精神的な毒から正法を守り抜き、大聖人が見つめていた「日本の柱(太陽神)」への道を繋ぎ止めるための、孤独で気高い戦いだったと言えるでしょう。

組織管理のために「壁」となった教義:なぜ日興上人の精神は封印されたのか

ここで一つの疑問が浮かびます。日興上人がこれほどまでに師の「神仏共生の精神」を大切にし、自ら神社を建立してまでその意志を遺そうとしたのであれば、なぜ今日の大石寺や創価学会は「神社参拝」をこれほどまでに厳しく禁じているのでしょうか。
その理由は、大聖人の没後、数百年という歴史の中で組織が生き残るために取り入れた「教義の硬質化(純血主義)」にあります。
第一に、巨大な組織を維持するためには、「これ以外は全て悪である」と定義する方が、信徒の結束を固める上で極めて効率的だったという側面があります。日興上人が体現した「神を敬い、仏を信じる」という高度で柔軟なバランスは、いつしか「他を排除することで自分たちの正当性を守る」という、分かりやすい排他論へと置き換えられてしまいました。
第二に、近代における歴史的背景、特に戦時中の軍部による「神札強要」への抵抗が決定打となりました。権力が信仰を強制しようとしたことへの反発が、「神社=自分たちを弾圧する象徴」という強烈なアイデンティティとして組織に刻まれてしまったのです。この政治的な拒絶反応が、本来は大聖人が愛したはずの「日本の神々」そのものへの拒絶と混同され、今日まで固定化されてしまいました。
つまり、現在の「神社参拝禁止」というルールは、大聖人の本意(オリジナル)ではなく、組織を守るために後年になって塗り重ねられた「防壁」に過ぎません。しかし、この防壁こそが、皮肉にも師が本来目指した「太陽神への回帰」という源泉を遮断する、現代における最大の「教義の毒」となってしまったのです。

現代の「教義の毒」を抜く。不自然な禁止ルールを四毒・五悪の視点で斬る

不自然な加工品や添加物を避ける「五悪」排除の視点は、そのまま宗教の教義にも当てはめることができます。本来、日蓮大聖人が説いた信仰は、太陽のように明るく、生命力を活性化させる「自然」なものでした。しかし、後世に付け加えられた「神社参拝禁止」などの排他的なルールは、信仰の純度を保つための「保存料」が、いつの間にか精神の自由を損なう「毒」に変質してしまったようなものです。 小麦や精製油といった「四毒」を避けることが身体の健康に寄与するように、不自然な禁止ルールに縛られることは精神の自由を損なう要因となり得ます。本来の健やかな状態を取り戻すために不純物のデトックスが必要なのと同様に、信仰においても後付けされた不自然な制約を削ぎ落とす作業が求められます。神社という日本の自然な霊性を拒むことは、自身のルーツという栄養源を断つことに等しく、結果として精神の「実症(充実)」を損ない、「虚症(衰弱)」へと導いてしまいます。教義の毒を抜き、大聖人が清澄山で浴びたような、そのままの太陽の光を受け入れることが、真の救いへの第一歩となります。

太陽神への原点回帰で本来の自然な生命力を取り戻す重要性

最終的に目指すべきは、特定の組織が作り上げた「壁」を取り払い、日蓮大聖人が本来見つめていた「太陽神(天照大神)」という生命の源泉へと原点回帰することです。私たちは太陽の光なくしては一秒たりとも生きられず、その恩恵を享受することは宗教の枠を超えた生命の基本原理です。神社参拝を禁じるという教義に縛られ、自然への畏敬の念を封じ込めることは、人間が持つ本来の野生や直感力を減退させることに他なりません。 伊勢神宮の広大な森や、朝日が昇る水平線を前にした時に感じる「理屈抜きの心地よさ」こそが、私たちの細胞が求めている真実です。四毒や五悪を排して身体を清浄に保つ努力と、不自然な教義の縛りから魂を解放することは、表裏一体のプロセスといえます。太陽神を敬い、大地に根ざした神社という場を肯定することで、私たちの生命力は再び力強く脈打ち始めます。日蓮大聖人がその生涯をかけて示そうとしたのは、排他的なドグマではなく、太陽のように燦々と輝く、自由で力強い日本人の魂の再生だったはずです。今こそ不自然な制約を手放し、太陽の光を全身で浴びるような、健やかな信仰の形を取り戻すべき時が来ています。

日蓮正宗 創価学会 神社参拝禁止 理由の総括と真実

  • 謗法という概念に基づき法華経以外の信仰を心の濁りとして遠ざける建前がある
  • 神社に祀られる神々は仏法を守護する機能に過ぎないという従属的な論理
  • 家庭内の神棚を撤去する謗法払いが信徒の拒絶反応を強化させている
  • 正しい仏法がない場所の神は力を失い魔神が入れ替わるという終末論的な恐怖
  • 神社参拝を社会悪への加担と定義することで信徒の足を引き止める心理的障壁
  • 戦時中の国家神道による神札強制に抗った殉教の歴史が組織の誇りとなっている
  • 外部文化と意図的に距離を置くことで信徒の選民意識と連帯感を高める戦略
  • 信仰対象を御本尊に一本化し組織のリソースを集中させる運営上の防衛本能
  • 万年救護本尊の右脇には本来否定すべき天照大神の名が明確に刻まれている
  • 日蓮の本意は中央の題目の場所に南無天照大神と記すほどの神仏一体にあった
  • 伊勢神宮の誓願の井戸で百日祈願を行った事実が教団の歴史では伏せられている
  • 日本の柱とならんという三大誓願は伊勢の太陽神への帰依から生まれた魂の叫び
  • 日蓮という名は誕生の地の初日の出と太陽神への深い信仰を象徴している
  • 師の神仏共生の精神を隠蔽しようとした弟子による毒殺の可能性という歴史の闇
  • 神社を拒む教義の毒を抜き四毒五悪を排した清浄な身体で太陽を拝む重要性

おわりに:個人的な体験と朝のクリアリング

ここまで歴史や教義の背景を見てきましたが、最後に私自身の日常についても少し触れたいと思います。私は保田妙本寺に先祖代々のお墓を持つ檀家の一人ですが、特定の教条に縛られるのではなく、自分なりに納得できる形で神仏と向き合っています。

子供の頃から地元の吉浜神社には祖母と足を運んでいましたし、伊勢神宮へはコロナ騒動以前は10年連続で参拝を続けていました。現在は、伊勢白山道方式での神祭り先祖供養を日課としており、自宅には地元の氏神様、文京区の白山神社、そして伊勢神宮(内宮外宮伊雑宮)のお札を大切にお祭りしています。

毎朝、法華経の読経をする代わりに、「生かしていただいてありがとうございます」という感謝の心でお参りしています。四毒や五悪を排した健やかな体で、この感謝奉納を行う時間は、私にとって心身を整える大切な朝のクリアリング(浄化)となっています。

神社を遠ざけるという不自然な制約を手放し、太陽の光や土地の神様に感謝する。そのシンプルで自然な生き方こそが、結果として生命力を高め、日蓮大聖人が本来見つめていた「太陽神への帰依」という原点にも繋がっているのだと感じています。

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>>保田妙本寺の秘史|万年救護本尊を守った日郷の執念と四毒抜きの縁

【免責事項】
本記事の内容は、歴史的資料、Ai(googleジェミニ)との対話で得た独自の考察、および特定の識者による見解に基づき構成されています。

  • 情報の正確性について: 可能な限り正確な情報提供に努めておりますが、歴史の解釈や宗教的教義の捉え方には諸説あり、その正確性や妥当性を保証するものではありません。
  • 信仰・健康に関する判断: 本記事で紹介している内容は、特定の信仰を強要したり、医学的診断を代行したりするものではありません。信仰や食生活の変更、健康維持に関する最終的な判断は、ご自身の責任において行っていただきますようお願い申し上げます。
  • 損害の責任について: 本ブログの情報を利用したことで生じた、いかなるトラブルや損害についても、当方は一切の責任を負いかねますのでご了承ください。

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