2026年1月20日、中道改革連合への合流を見送り、自らゆうこく連合を率いて出馬を表明した原口一博氏のニュースが世間を騒がせました。この動向に対し、父が「おかしな奴だ」と言い放ったことから、私たちのアイデンティティの根幹である信仰へと話が及びました。もし菩提寺である保田妙本寺(ほたみみょうほんじ)が創価学会に売却され、明日から学会の檀家になるか寺を出ていくか決めなさいと迫られたらどうするのか。私の問いに、父は「出ていく!」と迷いなく即答しました。
この潔い一言には、かつて日蓮正宗(にちれんしょうしゅう)の次期法主候補という地位を捨て、離脱を決断した鎌倉日桜上人(かまくらにちおうしょうにん)の不屈の精神や、大石寺から持ち出された本尊の真実を命がけで守り抜いてきた保田妙本寺の歩みが重なります。質入れが本尊を守った避難伝説の真相や、大岡越前が下した知恵ある所有権裁定、そして山崩れを越え地主の寄付で繋いだ法灯など、この寺には組織の論理に屈しない正統性の歴史が刻まれています。
こうした歴史の重みは、現代を生きる私たちの心身の在り方とも深く共鳴します。玉井和尚が説く水野南北の食運命学や、吉野敏明先生の四毒抜きと曼荼羅の力が示唆するのは、不自然なものを排除し、生命本来の輝きを取り戻すという道です。陰陽一対の曼荼羅が整える意識指数を知り、方便品と寿量品が魂のデトックスになると気づくとき、消えた池田大作石碑が示す寺の自立は、私たち自身の自立した生き方へと繋がります。
政治と信仰の筋を通す父の即答を起点に、保田妙本寺の万年救護本尊と四毒抜きの縁を紐解きながら、組織より本質を選ぶ生き方の正統性について、真に健康で筋の通った人生を送るための知恵を共有してまいりましょう。
この記事のポイント
- 保田妙本寺が巨大組織から独立し万年救護本尊の正統性を守り抜いた歴史的背景
- 質入れや山崩れといった逆境を経て本尊が現代まで無傷で継承された奇跡の縁
- 吉野敏明先生の四毒抜きと水野南北の食運命学が心身の健康や開運に直結する理由
- 陰陽一対の曼荼羅やお題目の唱題が意識指数を高め魂のデトックスを促進する仕組み
保田妙本寺の万年救護本尊と四毒抜きの縁
政治と信仰の筋を通す父の即答
中道改革連合への合流を見送り、自ら「ゆうこく連合」を率いて出馬することを表明した原口一博氏の記者会見。このニュースが流れるテレビの前で、私と父の間で筋を通すことについての議論が始まりました。野田代表ら執行部の説明不足を理由に、民主主義の手続きを無視しているとして離党を決断した原口氏の動向に対し、父は「おかしな奴だ、筋が通っていない」と切り捨てたのです。
そこで私は、父の価値観の根底を探るべく、あえて意地悪な質問をぶつけてみました。「もし私たちの菩提寺である保田妙本寺が、経営不振で創価学会に売却されたらどうする?明日から学会の檀家になるか、それとも先祖代々の墓を捨てて寺を出ていくか、二択を迫られたら?」という問いです。父の答えは、驚くほど速く、そして明確でした。
「出ていくに決まっているだろう!」と即答したのです。かつて保田妙本寺は、池田大作氏の影響を受け日蓮正宗に合流していた時期もありましたが、現在は単立の寺院として独立した道を歩んでいます。父にとっての信仰とは、大きな組織に所属して安心を得ることではなく、妙本寺が守り抜いてきた独自の伝統や歴史、そして「本物」を信じるという一本の筋を通すことだったのです。この言葉には、権力や数に屈しない、富士門流の檀家としての強いプライドが凝縮されていました。
離脱を決断した鎌倉日桜上人の不屈
保田妙本寺が現在、どの組織にも属さない「単立」として存在している背景には、先代住職である鎌倉日桜上人の凄まじい決断がありました。日桜上人はかつて日蓮正宗において「能化」という最高位の階級に就いており、次期法主(大石寺のトップ)の最有力候補として衆目の一致するところでした。宗教界において法主の地位に就くことは、名実ともに頂点を極めることを意味します。しかし、日桜上人はその約束された地位と名誉をすべて投げ打ち、日蓮正宗からの離脱という道を選んだのです。
その動向は、単なる組織内の対立ではなく、日蓮聖人の教えをいかに純粋に守るかという、信仰の根幹に関わる闘いでした。日桜上人は、組織の巨大化に伴う変質を危惧し、保田妙本寺が守り伝えてきた「日郷門流」としての独自性と正統性を守るために、茨の道を選びました。葬儀の際、高齢になられた上人のか細い読経の声を聞いたことがありますが、それは物理的な音量を超え、権威に依存せず法を護持し続けた一人の修行僧としての魂の響きでした。上人の不屈の精神があったからこそ、私たちは今も混じり気のない「万年救護の大本尊」を拝することができるのです。

歴史を繋ぐ不屈の響き:鎌倉日桜上人による「方便品」の読誦
この音声は、2004年の葬儀の際、保田妙本寺の先代住職・鎌倉日桜上人によって捧げられた読経の記録です。
当時、ご高齢であった日桜上人の声は決してお大きくはなく、時折か細く、傍らのお弟子様方がそのお声を支えるように唱和されています。しかし、この「方便品(ほうべんぽん)」の調べには、かつて日蓮正宗の最高位という地位を投げ打ち、組織の権威よりも「法」の正統性を守る道を選んだ一人の僧侶の、凄まじい執念が宿っています。
読経の内容について 音声で流れているのは、法華経の核心部分である「方便品第2」です。お釈迦様が弟子の舎利弗(しゃりほつ)に対し、あらゆる存在に仏の智慧が備わっていることを明かす、生命の尊厳を説いた極めて重要な一節です。
師弟で奏でる「魂のデトックス」 上人のお声を弟子がサポートするその姿は、単なる儀式の介添えではありません。それは、日郷上人以来の「万年救護の大本尊」を護持するという重責が、世代を超えて確実に継承されていることを物語る、感動的な光景でした。
四毒を抜き、身体を清浄に整えた状態でこの音声を聴くと、お経のリズムが魂の澱(よどみ)を洗い流すような、深い安らぎを感じられるはずです。組織という枠組みを超え、本質を貫き通した上人の「魂の響き」を、ぜひ感じ取ってください。
大石寺から持ち出された本尊の真実
日蓮門流の歴史において、保田妙本寺が所持する「万年救護の大本尊(まんねんくごのだいほんぞん)」は極めて特殊な立ち位置にあります。玉井和尚が「正確には盗んだもの」という表現を使われたことが印象的ですが、これは第2祖・日興上人(にっこうしょうにん)の後継を巡る「日道(にちどう)」と「日郷(にちごう)」の激しい論争に端を発しています。13世紀末、大石寺の跡継ぎ問題に敗れた日郷上人は、自らが預かっていた重宝とともに大石寺を去り、安房(現在の千葉県)の地に新たなる拠点として妙本寺を築きました。
大石寺側の視点に立てば、正当な後継者が持つべき重宝を持ち去られたことになりますが、日郷上人側の視点では、正統な法灯を絶やさないために「避難させた」という大義がありました。現在、大石寺に安置されているのは板に刻まれた本尊ですが、保田妙本寺に伝わるのは日蓮聖人の真筆(紙幅)であるとされています。この「真筆を所持している」という物証こそが、妙本寺が巨大組織に飲み込まれず、独自性を保ち続けてきた最大の根拠です。歴史の勝者が綴る記録の裏側に、守り抜かれた「本物の重み」が存在している事実は、信仰の本質を問い直させてくれます。
質入れが本尊を守った避難伝説の真相
保田妙本寺の歴史を紐解くと、経済的な困窮により「万年救護の大本尊」が江戸時代に質入れされるという、驚くべきエピソードに突き当たります。日蓮聖人の魂が込められた御本尊を金銭の代価として差し出すことは、通常であれば「仏罰」を招く不敬な行為として非難の対象になりかねません。実際に、同時期に妙本寺が山崩れによって消失したことを「本尊を蔑ろにした報い」と見る厳しい意見も存在します。
しかし、妙本寺の檀信徒の間で語り継がれているのは、それとは全く逆の「避難伝説」です。もしあの時、御本尊が寺に残されていたら、山崩れによる土砂に埋もれ、永遠に失われていたに違いありません。質入れという形で江戸の安全な場所に移動していたからこそ、御本尊は無傷で災厄を免れたという解釈です。これは、御本尊そのものが意志を持ち、自ら難を逃れたという神秘的な守護の物語として捉えられています。最悪の状況に思える「質入れ」という出来事が、結果として「法の存続」に繋がったという逆転の発想は、どんな困難にも意味があるという日蓮仏法の精神を体現しています。
大岡越前が下した知恵ある所有権裁定
質入れされた「万年救護の大本尊」が妙本寺に戻るまでには、江戸幕府を巻き込んだ法廷闘争がありました。本尊を買い取った神奈川の寺院側と、返還を求める妙本寺側との間で、解決の糸口が見えない争いが続いたのです。この難局に立ち会ったのが、江戸町奉行として名高い大岡越前守忠相でした。大岡越前は、双方の面子と信仰心を尊重しつつ、現代で言うところの「所有権」と「使用権(保存権)」を分離させるという、極めて高度な裁決を下しました。
裁定の内容は、「所有権は金を払って買い取った寺院に認めるが、安置し供養する権利は元の持ち主である妙本寺に認める」というものでした。これにより、御本尊は物理的に保田の地に戻り、伝統的な供養が続けられることになったのです。この「大岡裁き」があったからこそ、貴重な真筆が散逸することなく、今日まで私たちの目の前に存在し続けています。玉井和尚がその姿を写し、版画として残そうとした活動も、こうした歴史の危うさを乗り越えてきた「法の重み」を後世に伝えるための、執念の現れだと言えるでしょう。
山崩れを越え地主の寄付で繋いだ法灯
江戸時代の災厄は、御本尊が難を逃れた一方で、寺の伽藍そのものを壊滅させました。山崩れによってかつての境内地は消失し、妙本寺は存続の危機に立たされました。しかし、ここで立ち上がったのが、信仰の熱い地元の地主たちでした。彼らは自らの土地を寄付し、現在の吉浜の地に寺を再建するための基盤を提供しました。お寺というものは、巨大な組織の資金源によって維持されるのではなく、そこに住まう人々の「この法を守りたい」という草の根の情熱によって支えられるものであることを、この歴史は証明しています。
父が「墓を移動する」と即答した背景には、こうした先祖代々の人々が私財を投げ打って守り抜いた土地と本尊への、深い敬意があるはずです。山を崩し、寺を飲み込むような自然の猛威すらも、人々の団結と本尊の不思議な縁を断ち切ることはできませんでした。現在、私たちが妙本寺に参拝し、四毒抜きの実践とともに方便品や寿量品を唱えることができるのは、この幾多の危機を乗り越えた「執念のバトン」が繋がっているからです。そのバトンを、組織の都合で手放すことは、これまでの歴史すべてを否定することに等しいのです。
【参拝を検討されている方へ】 記事を読んで「万年救護の大本尊を直接拝したい」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。しかし、この御本尊は数多の苦難を乗り越えて守り抜かれた寺の至宝であり、普段は厳重に格護されているため、一般公開はされておりません。 拝観の貴重な機会となるのは、年に一度、秋(例年10月13日の御会式に合わせて行われることが多いですが、詳細は要確認)に行われる「お風通し(御虫払会)」の行事です。この時ばかりは、歴史の荒波を潜り抜けてきた真筆の御本尊が奉戴され、その厳かな姿を間近に仰ぐことができます。遠方から足を運ばれる際は、必ず事前に行事の日程を確認されることをお勧めします。歴史の重みに触れるなら、この「一年に一度の縁」を待つ時間さえも、信仰における大切なプロセスとなるはずです。
保田妙本寺で万年救護本尊と四毒抜きを語る
玉井和尚が説く水野南北の食運命学
神奈川の光寺で出会った玉井和尚は、たまいらぼ出版の経営者という顔も持ち、江戸時代の観相学の大家・水野南北の教えを現代に伝えています。水野南北は、人相や手相だけで運命を占うことに限界を感じ、ついには「運命の正体は食にある」という結論に達した人物です。玉井和尚が翻訳・普及させている南北の説では、どれほど悪相であっても、食を慎む(節食する)ことで運命は劇的に好転し、逆にどれほど幸運な相を持っていても、食をほしいままにすれば家運は尽きると説かれています。
この教えは、単なる占いを超えた「生命の摂理」を突いています。玉井和尚が、保田妙本寺の「万年救護の大本尊」を版画化し普及させる一方で、この食運命学を広めている点には深い意味があります。御本尊への信仰によって精神を浄化し、水野南北の教えによって肉体と運命を整える。この両輪が揃って初めて、真の救済があると考えられているのでしょう。お寺の住職という立場から、檀信徒の「今ここにある生活」を正すために食の重要性を説く姿勢は、現代における宗教のあり方を再定義しているようにも感じられます。


★江戸の知恵が説く、節食と運命の深い関わりを読み解くための一冊。
吉野敏明先生の四毒抜きと曼荼羅の力
吉野敏明先生が提唱する「四毒(小麦、植物性油、乳製品、甘い物)」を避ける食事療法は、水野南北の思想と驚くほど高い親和性を持っています。吉野先生は、現代病の多くが不自然な食生活によって引き起こされていると警鐘を鳴らし、特に精製された油や砂糖の過剰摂取が、私たちの身体だけでなく精神のバランスまで崩していると指摘されています。この「四毒抜き」を実践することは、身体の重さを取り除き、生命が本来持っている「中道」のバランスを整えるプロセスと言えるでしょう。
ここで興味深いのが、吉野先生が水野南北の訳本を引用し、食と運命の繋がりを強調されている点です。身体を四毒から解放し、クリアな状態に整えた上で、保田妙本寺の系統に連なる曼荼羅に向き合う。このプロセスこそが、心身両面からのデトックスとなります。四毒によって感覚が麻痺した状態では、曼荼羅が発する微細なエネルギーを感じ取ることは難しいかもしれません。しかし、食を正すことで五感が研ぎ澄まされれば、曼荼羅の力がよりダイレクトに生命に響くようになります。信仰と医学が、健康という一点で融合する瞬間です。
★現代の食生活に潜む「不自然さ」を見直し、心身を整える実践の書です。
★四毒抜きを無理なく、美味しく日常に取り入れるための具体的なヒントが満載です。
陰陽一対の曼荼羅が整える意識指数

玉井和尚が作成された曼荼羅には、白と黒の「陰陽一対」という非常にユニークな特徴があります。これは、宇宙の万物が陰と陽の調和によって成り立っているという東洋哲学を、曼荼羅という形に落とし込んだものです。エイトスターダイヤモンドの田村社長は、フーチを用いた意識指数測定において、お題目のエネルギーが極めて高い数値を示すことを指摘されていました。この「意識指数」とは、存在の波動の高さを示す指標ですが、陰陽一対の曼荼羅は、まさに私たちの意識をこの高い次元へと引き上げる装置としての役割を果たします。
私たちの心は、日常のストレスや四毒の摂取によって、「虚(無気力)」や「熱(怒り)」といった極端な状態に振れがちです。しかし、陰陽のバランスが完璧に整えられた曼荼羅に向き合い、お題目を唱えることで、意識は自然と安定した中心点へと戻っていきます。フーチが示す高数値は、この曼荼羅に向き合うことで、自らの内面にある宇宙的な秩序を再確認する一助となるのかもしれません。美輪明宏氏のような感性の鋭い人々が、お題目の力を高く評価するのも、この「調整力」を直感的に理解されているからかもしれません。
方便品と寿量品が魂のデトックスに
私が覚えている法華経の「方便品第2」と「如来寿量品第16」は、日蓮仏法の核心中の核心です。方便品では「すべての人が仏になれる」という可能性を肯定し、寿量品では「永遠の命の営み」を説いています。これらを唱えることは、意識の奥深くに溜まった「心の淀み」を洗い流す、魂のデトックス作業です。内容を完全に理解していなくとも、その音律とリズムには生命を活性化させる力があります。
四毒抜きによって身体の毒を出し、お経によって魂の毒を出す。この双方向からのアプローチが、現代社会を生き抜くための最強の自己管理術となります。特に「寿量品」の自我偈は、仏が常に私たちのそばにあり、苦しみを取り除こうとしている慈悲を歌っています。これを唱える時、私たちは孤独な存在ではなく、宇宙の大きな命の流れの一部であることを思い出します。四毒を避け、身体の炎症を抑えることが「動」のデトックスであるならば、お経を唱え静かに曼荼羅と向き合う時間は「静」のデトックスであり、この静動の組み合わせが人生の質を根底から変えていくのです。
ちなみに、この「方便品」と「寿量品」を読誦する形式を指して「創価学会と同じではないか」と問われることがあります。しかし、それは順序が逆と言えるかもしれません。保田妙本寺は大石寺(日蓮正宗)と同じく、日興上人を祖とする富士門流の古刹です。
組織の枠組みこそ異なりますが、日郷上人が命がけで正統な法灯を安房の地へ運び、鎌倉日桜上人が不屈の精神で守り抜いたのは、まさにこの法華経の核心です。どこかの組織に似ているからではなく、何世紀も前から変わらぬ「本物の音律」がここにあるからこそ、私たちの魂に響くのです。
消えた池田大作石碑が示す寺の自立

かつて保田妙本寺の客殿左奥には、創価学会の池田大作氏による揮毫が刻まれた大きな石碑が建立されていました。筆者が2004年に撮影した当時の様子(上記写真参照)を確認すると、そこには日郷上人による開創から昭和期の再興に至る経緯とともに、「池田大作の要請により」「創価学会を母体として」といった当時の協力関係を示す文言がはっきりと刻まれています。しかし、近年訪れた際には、この石碑を以前と同じ場所で確認することはできませんでした。
1950年代、創価学会による折伏大行進の波の中で、保田妙本寺を含む富士門流の古刹は一時的に日蓮正宗の傘下に入りました。この石碑は、まさにその時代の象徴的な記念碑といえます。しかし、組織の論理が優先される中で、寺本来の伝承や「万年救護の本尊」を純粋に守り抜くため、妙本寺は後に独立し「単立」となる道を選びました。石碑がかつての場所から姿を消した(あるいは移動した)という事実は、こうした「組織の時代」に一つの区切りをつけ、日郷門流としての原点に立ち返ろうとする寺の姿勢を無言の内に示しているのかもしれません。
かつて石碑が置かれていた空間に流れる静寂は、組織の権威に依存しない独立独歩の誇りを感じさせます。父が「(創価学会に譲渡されるなら)出ていく」と即答したのも、こうした寺の自立への歩みを肌で感じてきたからでしょう。権力者の名が刻まれた記念碑よりも、名もなき人々が地道に守り伝えてきた御本尊と、その教えを実践する場であること。その「本質」を何よりも大切にする妙本寺の決断は、時代を超えて正統な法灯を次世代へと繋いでいくための、静かなる意志の現れのように思えてなりません。
組織より本質を選ぶ生き方の正統性
本記事の出発点となった父の「出ていく!」という即答。それは、組織という器よりも、その中に入っている「法(本質)」を何よりも大切にする生き方の宣言でした。
一見すると、これは特定の寺院に対する「執着」に見えるかもしれません。しかし、仏教で説く「苦の原因となる執着」とは、目先の利益や地位、あるいは組織という虚飾にしがみつく心のことです。政治の世界においても、2026年1月20日の記者会見で原口一博氏が見せた決断は、当選という「地位への執着」を捨て、自らの理念という「本質」を貫くものでした。対照的に、政策が真逆の団体へ飲み込まれていく道は、まさに地位への執着がもたらす「不自然な合流」であり、いずれ心身に矛盾という名の苦しみを生む原因となるでしょう。
四毒抜きという食事法も、世間の「美味しいもの、便利なもの」という嗜好への執着を断ち切り、自分の身体にとっての真実(本質)を選ぶ行為です。吉野先生は「食は欲で食べるものではなく、信仰で食べるものである」と説かれます。食欲という主観的な欲求に左右されるのではなく、糖新生を防ぎ生命のエネルギーを維持するために正しくお米をいただく。それは、自分の身体という神殿を守るための厳かな儀式でもあります。
日郷上人や日桜上人が地位や安泰を捨てて本尊を守り抜いたのも、組織の論理という執着から離れ、純粋な法を護持せんとした結果でした。私たちは、どうしても組織の中にいることで安心感を得ようとしますが、真の安心は、自分の中に「これだけは譲れない」という本質を持つことで得られます。父との会話を通じて再確認したのは、食べ物であれ、政治であれ、信仰であれ、「本物を見極め、筋を通す」という生き方こそが、執着という名の炎症を鎮め、最も美しく健康的に生きるための正道であるという事実なのです。
保田妙本寺の万年救護本尊と四毒抜きが導く心身の正道
- 政治の合流劇を批判する父の言葉は信仰における筋の通し方と重なる
- 創価学会への譲渡を拒み寺を出るという父の即答は「組織への執着」を捨てた証である
- 鎌倉日桜上人は大石寺のトップという地位への執着を捨てて保田の法を守り抜いた
- 日郷上人が大石寺から持ち出した本尊こそが、権威に依存しない妙本寺の正統性の証である
- 質入れによる本尊の移動は、形への執着を超えて法宝を救う避難伝説となった
- 江戸幕府の大岡越前が下した裁定が、所有という執着を解き安置の形を決定づけた
- 地元の地主たちによる土地の寄付が、逆境という執着を越えて妙本寺を再建した
- 玉井和尚が伝える水野南北の教えは、食の執着を慎むことが運命を拓くと説く
- 吉野敏明先生の四毒抜きは、不自然な嗜好への執着を排して生命の中道を取り戻す
- 四毒を抜き身体を整えることで、曼荼羅が発するエネルギーへの感度が上がる
- 陰陽一対の曼荼羅は宇宙の調和を体現し、執着で乱れた意識指数を安定させる
- 方便品と寿量品の読経は、魂の澱(執着)を洗い流すデトックスとして機能する
- 整理された池田大作氏の石碑は、過去の依存という執着から自立した寺の姿を示す
- 組織の安心感に安住する執着よりも、本物を見極めて信じることこそが信仰の本来の姿である
- 食を正し本尊に向き合う生き方は、歴史の正統性と身体の真実を繋ぎ合わせる唯一の道である
あわせて読みたい
>>立憲民主党の変節と原口一博が歩む中道!及川幸久氏が鳴らす警鐘
【免責事項】 本記事の内容は、筆者の個人的な信仰体験および学習に基づく情報発信であり、特定の宗教団体への勧誘や、特定の治療法を推奨するものではありません。 記事内で紹介している「四毒抜き」や食事療法、ならびに歴史的解釈については、諸説ある中の一つの視点として提示しています。健康状態や病状については、必ず専門の医療機関にご相談ください。 本記事の情報を利用したことにより生じた、いかなる損害についても当ブログは一切の責任を負いかねますので、あらかじめご了承ください。
