今回の参議院選挙で、元格闘家の須藤元気氏が国民民主党からの出馬で落選したことは、多くの方々の関心を集めています。
なぜ、彼は議席を獲得できなかったのでしょうか。
この記事では、須藤氏が政治家への夢を抱き、そのために格闘技をどう活用してきたのかという原点から、当選後に彼を悩ませたワクチン発言が招いた波紋、そして手のひら返しとまで言われた国民民主党への入党経緯までを深掘りします。
さらに、WCH議連やパンデミック条約への彼の言及、ワクチン不要論の釈明と撤回、そしてトランプ氏のWHOからの脱退論まで、多岐にわたる彼の活動を振り返ります。
裏切られたと感じている「よしりん」こと吉野敏明氏や「うつみん」こと内海聡氏の反応、そして鵜川和久氏が代表を務めるワクチン被害者遺族の会の活動と須藤氏との関わりにも触れながら、須藤元気氏が参議院選挙落選という結果を経て、政治家として今後どこへ向かうのか、その責任と可能性について考察していきます。
この記事のポイント
- 須藤元気氏が参議院選挙で落選した経緯と背景
- 彼の政治家としてのキャリアの始まりと格闘家時代の戦略
- ワクチンに関する発言が彼の政治活動に与えた影響と論争
- 国民民主党への入党と、今後の政治家としての方向性
須藤元気氏、参議院選挙落選の背景
参議院選挙で国民民主党から落選
国民民主党の比例代表から参議院選挙に立候補した元格闘家の須藤元気氏は、残念ながら今回の選挙で議席を獲得することができませんでした。
改選議席数50の中で、須藤氏は党の獲得議席に届かず、次点という結果に終わっています。
この落選の背景には、須藤氏が過去に発信してきた新型コロナウイルスに関するワクチンへの懐疑的な意見が大きく影響したと考えられています。
彼は以前から自身のSNSなどで「ワクチン不要」といった旨の投稿を続けており、これが今回の選挙期間中に改めて注目を集めました。
多くの有権者、特にワクチン接種を推奨する立場であった国民民主党の支持層からは、これらの発言に対して「科学的根拠に乏しい」「誤った情報を広めている」といった批判の声が上がっていたのです。
党としても、須藤氏の擁立を発表した5月以降、玉木雄一郎代表と共に釈明会見を開くなど、対応に追われる状況となりました。
須藤氏自身も選挙公示直前の記者会見で「言葉足らずであったり、事実に反する点があった」と説明しましたが、過去の発言を完全に撤回することはありませんでした。

【参院選】落選確実となった須藤元気氏が報道陣の取材に応じました pic.twitter.com/0rFrtleAis
— 東スポ文化部ニュース班(芸能政治社会ネット) (@tospo_seiji) July 20, 2025
政治家への夢と格闘技の活用
須藤元気氏が政治家を志すようになったのは、彼が高校生の頃にまで遡ります。
彼は、政治家になるためにはまず世間に広く知られる存在になる必要があると考え、そのための手段として格闘技の道を選びました。
当時、日本に総合格闘技のブームが到来することを予見しており、UFCの台頭を見て「これは必ず日本でも流行る」と確信したそうです。高校時代にレスリングを始めると、その才能はすぐに頭角を現し、高校3年生で全日本ジュニア優勝という輝かしい実績を残しました。
その後、プロの格闘家を目指してロサンゼルスへ留学し、柔術を習得。21歳でプロデビューを果たしました。
しかし、須藤氏は自身の体格がメジャーな大会で活躍するには不利であると認識していました。そこで彼は「差別化」という戦略を徹底します。
当時の日本の格闘家としては珍しいタトゥーを入れたり、ドレッドヘアにしたり、そして何よりも派手な入場パフォーマンスを積極的に取り入れました。
これは、プロレスの華やかさに通じるものであり、地味になりがちな格闘技の入場シーンにエンターテイメント性をもたらすことで、観客の記憶に残る存在となったのです。
彼のこうした行動はすべて、「政治家になる」という最終目標への布石であったと須藤氏自身も明言しています。
28歳で格闘家を引退した後も、彼はその目標を見失うことなく、大学院に進学して政治行政を深く学びました。
ワクチン発言が招いた波紋
須藤元気氏の政治活動の中で、特に大きな議論を巻き起こしたのが、新型コロナウイルスワクチンに関する彼の一連の発言でした。
彼は2023年11月に自身のSNSで、「もういい加減ワクチン接種を進め続ける理由はないでしょ」といった内容の投稿をしています。
この発言は、当時須藤氏が所属していた立憲民主党がワクチン接種を推進する立場であったことと、明らかに異なるものでした。
国民民主党内外からは、「党の方針と異なる見解を持つ候補者を比例代表に擁立するのは問題ではないか」といった声が上がり、インターネット上でも「須藤氏のような人物を公認すれば、党の方針が揺らぐのではないか」と疑問視する意見が相次ぎました。
こうした批判に対し、国民民主党の榛葉賀津也幹事長は、須藤氏の発言には個人的な背景があったことを明らかにしています。
榛葉氏の説明によれば、須藤氏の高校の同級生がコロナワクチン接種後に亡くなったという出来事があり、須藤氏はこの友人を失った痛みや疑問から、問題提起としての発言に至ったとされています。
ただし、個人的な経験が背景にあったとしても、政治家として公衆衛生に関わるデリケートな問題について発言する際には、科学的根拠に基づいた冷静な判断と、より一層丁寧な説明が求められるものです。
須藤氏自身も後に「言葉足らずであったり、事実に反する点があった」と釈明しましたが、過去の発言を完全に撤回しなかったことが、有権者からの信頼回復に至らなかった一因となった可能性もあります。
手のひら返しで国民民主党入党
須藤元気氏は、2019年の参議院選挙で立憲民主党から立候補し、初当選を果たしました。
しかし、当選からわずか1年足らずで、「経済政策について党と意見の相違があった」ことを理由に離党届を提出し、その後は無所属の議員として活動を続けていました。
このような経緯の後、2024年5月に国民民主党が須藤氏を参議院比例代表の候補者として擁立することを公表します。
この国民民主党からの擁立は、須藤氏が過去に発信していたワクチンに関する見解との整合性が厳しく問われる事態となりました。
国民民主党は、それまでワクチン接種を推進する立場を取っており、須藤氏の「ワクチン不要論」とも受け取れる発言とは明確な相違があったからです。
このため、党内外から「党の方針がブレている」といった批判の声が噴出しました。
国民民主党の榛葉幹事長は、須藤氏が党幹部や医師である議員、そして玉木雄一郎代表らと繰り返し対話を重ね、過去の誤解を招いた発言について反省し、専門家の意見を学ぶ姿勢を見せていると説明しています。
しかし、一部の有権者からは、須藤氏が政党の意向に合わせて自身の見解を「手のひら返し」したのではないか、と受け止められる向きもありました。
このような状況は、政治家としての須藤氏の信頼性だけでなく、国民民主党の政策の一貫性に対する疑問を抱かせる結果となりました。
間違った人間が、正しかった須藤元気さんに謝罪させた動画
— 藤江成光@著書「おかしくないですか!?日本人・謎の大量死」 (@JINKOUZOUKA_jp) July 9, 2025
削除される可能性があると思うので、保存済です。
【国民民主党】須藤元気さんに科学の大切さを伝えましたhttps://t.co/WOhu963beQ pic.twitter.com/hxjxckwQ4C
WCH議連とパンデミック条約への言及
須藤元気氏は、WCH議連(世界中で独立した医師や科学者、法律家などが集まるWCH: World Council for Healthの理念に賛同する日本の国会議員連盟)のアドバイザーを務めており、パンデミック条約や国際保健規則(IHR)改正案について積極的に発言しています。
彼は国会議員時代に、これらの国際的な取り決めが日本の主権に与える影響について深く懸念し、政府に対して「質問主意書」を提出していました。
特に重要視したのは、日本の憲法と条約の優劣に関する政府の見解です。政府からは「憲法が条約に優位する」という一般的な回答がありましたが、須藤氏はこの関係性が将来的に変更される可能性、特に自民党が検討している緊急事態条項の導入と合わせて、その動向を警戒していました。
彼は、WHOがパンデミックの明確な定義を持たないまま、事務局長の一存で宣言できる現状は「異常」だと指摘しています。
また、国連が本来「ユナイテッド・ネーションズ(連合国)」であるべきなのに「国際連合」と誤訳され、戦後の日本の立ち位置を不当に縛る構造になっているという吉野敏明氏の見解にも言及しています。
パンデミック条約の名称が、当初の「アグリーメント(同意書)」から「トリーティ(条約)」へと恣意的に変更され、それが外務省によって「条約」と訳されている現状も批判の対象でした。
須藤氏は、このような外交文書は原文主義を徹底し、正確な通訳を伴うべきだと主張しています。
須藤元気氏の今後と問われる責任:参議院選挙落選を経て
ワクチン不要論の釈明と撤回
須藤元気氏の政治家としての活動の中で、最も注目を集めたものの一つが、新型コロナウイルスワクチンに関する彼の発言です。
彼は以前から自身のSNSで「ワクチン不要」といった旨の投稿を繰り返し行っていました。
この発言は、国民民主党が今回の参議院選挙で彼を擁立した際、党のワクチン推進の立場と明確に矛盾すると指摘され、大きな批判を呼びました。
しかし、須藤氏は選挙公示直前の記者会見で、自身の過去の発言について「言葉足らずであったり、事実に反したりすることがあった」と釈明しています。
この釈明の背景には、彼の高校時代の同級生がコロナワクチン接種後に亡くなったという個人的な経験があったと、国民民主党の榛葉賀津也幹事長も説明しています。
友人を知らずして失った痛みから、彼はワクチンに対する疑問を抱き、発言に至ったとのことです。
しかし、政治家が公衆衛生に関わる問題について発言する際には、個人の感情や経験だけでなく、科学的根拠に基づいた冷静な情報提供が求められます。
須藤氏は釈明を行ったものの、過去の発言を完全に撤回することはありませんでした。
このことが、彼の政治家としての信頼性や、党の方針との整合性について、有権者からの疑問を完全に払拭するには至らなかった一因と考えられます。
トランプ決断!WHOからの脱退も選択肢の一つか
国際的な組織であるWHO(世界保健機関)からの脱退という議論は、特にドナルド・トランプ氏がアメリカ大統領時代に提唱したことで大きな注目を集めました。
この考え方は、須藤元気氏と吉野敏明氏の対談の中でも言及されています。吉野氏は、現在の国連システムやWHOの定義が、その名称や目的と大きく乖離している現状を批判しています。
彼は「WHOはワールド・ヘルス・オーガニゼーション(世界保健機関)であり、投薬や注射を強制する組織ではない。健康を増進するための団体であり、定義と異なる行動をしている」と強く主張していました。
このような背景から、パンデミック条約や国際保健規則(IHR)の改正案に反対する立場の人々の間では、もしこれらの国際的な取り決めが日本の国益を損なう形で進行するならば、最悪のシナリオとしてWHOからの脱退も選択肢の一つとして考えるべきだという意見が出ています。
もちろん、WHOからの脱退は国際社会における日本の立場や、世界的な保健協力体制に大きな影響を与えるため、非常に慎重な議論が必要です。
しかし、吉野氏は、日本が批准したとしても実行を延期したり、有名無実化するといった「日本人の得意な解決方法」もあると述べており、すぐに脱退という極端な手段を取るわけではないものの、それも視野に入れた上で国際的な動向を注視していくべきだという姿勢を示しています。
YouTube 吉野敏明の政経医チャンネル
格闘家時代から繋がっていた?政治家に転向した話【元参議院議員 須藤元気氏対談①】
何かがおかしい…?WCH議連とパンデミック条約【元参議院議員 須藤元気氏対談②】
5月27日WHO総会までに阻止しなければならないIHR(国際保健規則)の改正【元参議院議員 須藤元気氏対談③】
裏切られたよしりん、うつみんの反応

須藤元気氏が国民民主党から参議院選挙に出馬し、過去のワクチンに関する発言について釈明を行った際、一部の支持者や、彼と同じような立場からワクチン問題に取り組んできた人々からは、「裏切られた」という厳しい反応が見られました。
特に、医療の現場から警鐘を鳴らし続けてきた吉野敏明氏(「よしりん」という愛称で呼ばれることがあります)や、同じくワクチン問題に疑問を呈してきた内海聡氏(「うつみん」という愛称で呼ばれることがあります)などの識者や活動家は、須藤氏の釈明に対して複雑な感情を抱いたと推測されます。
須藤氏は、自身がかつてSNSでワクチン問題について声を上げた際に、国会議員の中で最初に声を上げた一人であると自負していました。
彼は、その行動が「人気商売」である自身にとって批判を招くことは承知の上で、多くの攻撃を受けながらも真実を伝えようとしたと述べています。
そのような経緯がある中で、彼が国民民主党という政党から出馬し、過去の発言を「言葉足らずであった」「事実に反する点があった」と釈明したことは、彼を信頼し、共に活動してきた人々にとっては衝撃的な出来事だったかもしれません。
特に、吉野氏や内海氏のような人々は、既得権益や主流派に立ち向かい、自身の信念を貫いてきた背景があります。
だからこそ、須藤氏の行動が、彼らが守ろうとしてきた「真実を語る」というスタンスと異なるものと映り、「裏切られた」と感じるに至った可能性は十分に考えられます。

ステルス自民党の一つ、国民民主党の象徴であり、詐欺師の象徴須藤元気。絶対に許せない、当選させたくないと思うかただけリツイート。ワクチンの健康被害はデマではない。 https://t.co/g2eUrjvofQ
— うつみさとる(神奈川選挙区 参議院議員候補) (@touyoui) July 17, 2025
鵜川和久氏、ワクチン被害者遺族の会
ワクチン接種後に亡くなった方々や重篤な副反応に苦しむ方々の問題は、日本の社会において看過できない課題となっています。
そのような中で、鵜川和久氏は、自身も肉親をワクチン接種後に亡くされた経験から、「ワクチン被害者遺族の会」を立ち上げ、その代表として活動されています。
この会は、ワクチン接種による健康被害を訴える人々や、その遺族たちが集まり、情報の共有や、国や製薬会社に対する原因究明、補償などを求めて声を上げている組織です。
彼らの活動は、個人の体験談にとどまらず、厚生労働省への陳情や、集会での情報発信、そして国会議員への働きかけなど、多岐にわたります。
須藤元気氏が参議院議員時代に、ワクチン問題について国会で質問主意書を提出したり、WCH議連のアドバイザーを務めたりするなど、この問題に深く関わってきた背景には、鵜川氏のような当事者の切実な声があったことも想像に難くありません。
ワクチン被害の問題は、単なる医療問題ではなく、人権や情報公開のあり方、そして国家と国民の信頼関係にも関わる複雑なテーマです。
鵜川氏と遺族の会は、その最前線で活動されており、須藤氏のような政治家が彼らの声に耳を傾けることは、国民の代表として当然の姿勢と言えるでしょう。
須藤元気候補と対面で話す事が出来ました。
— 鵜川和久 (@sousyou13) July 19, 2025
責めるだけでなく、彼の心情を問いたいと遺族の中で話が纏まりました。
人一倍辛い思いをしている遺族は優しい。
今後彼がどの様に間違いを正し行動するか見守りたいと思います。
pic.twitter.com/UupThIBmEy
政治家としての方向性はどこへ
今回の参議院選挙で落選した須藤元気氏が、今後どのような政治活動を展開していくのか、その方向性は多くの人々が注目するところです。
彼はこれまで、格闘家としての知名度を政治家への足がかりとし、独自の政治信条、特に「積極財政」を掲げてきました。
また、コロナ禍においては、SNSでワクチン問題に言及するなど、既成概念にとらわれない発言で注目を集めています。
しかし、今回の選挙では、そのワクチンに関する過去の発言が批判の的となり、国民民主党からの出馬であったにもかかわらず、議席を得ることはできませんでした。
今後の須藤氏の選択肢としては、いくつかの可能性が考えられます。
一つは、再び無所属として衆議院選挙などへの再挑戦を目指す道です。
彼は過去にも衆院選に無所属で立候補しており、「政党政治の行き詰まり」を指摘し、完全無所属で政治の枠組みを変えたいという強い意欲を示していました。
二つ目は、今回の落選を機に、国民民主党内で党の方針に沿った活動を続ける道です。
しかし、彼が自身の信念を曲げてまで党の意向に従うのか、という点は疑問が残ります。三つ目は、今回の経験を踏まえ、政治活動のあり方そのものを見直す可能性です。
例えば、特定の政党に属さず、WCH議連のような超党派の活動や、社会運動、言論活動に軸足を置くことも考えられます。
彼の人生観には、中学生時代の集団リンチやオートバイ事故といった臨死体験があり、「一度死んだようなものだから、間違っていることは間違っている、正しいことは正しいと臆することなく言う」という信念が根底にあります。
このような彼の根源的な部分は変わらないでしょう。
いずれにしても、須藤氏が「ワクチン被害者を裏切った」という一部からの批判と向き合いながら、自身の政治家としての立ち位置と、国民のために何をすべきかを改めて問い直す時期を迎えていることは間違いありません。
須藤元気、参議院選挙落選の総括
- 須藤元気氏は国民民主党から参議院選挙比例代表に出馬し落選した
- 次点での落選であり、議席獲得には至らなかった
- 落選の背景には、過去のワクチンに対する懐疑的な発言が大きく影響した
- 彼は以前からSNSで「ワクチン不要」といった旨の投稿をしていた
- 国民民主党のワクチン推進方針と発言が矛盾し批判を招いた
- 党は玉木雄一郎代表と共に釈明会見を開く事態となった
- 須藤氏は会見で言葉足らずであったと釈明したが、発言撤回はしなかった
- 政治家を志し、世間に名を広める手段として格闘技を選んだ経緯がある
- 格闘家時代は、タトゥーや派手な入場パフォーマンスで差別化を図った
- 28歳で引退後、政治家を目指し大学院で政治行政を学んだ
- 彼のワクチン発言の背景には、同級生がワクチン接種後に亡くなった個人的な経験があった
- 立憲民主党を離党後、2024年5月に国民民主党からの擁立が発表された
- この国民民主党への入党と過去発言の整合性が問われ、「手のひら返し」と受け取られた
- WCH議連のアドバイザーを務め、パンデミック条約や国際保健規則改正案に言及していた
- 彼の政治活動は、吉野敏明氏や内海聡氏といった活動家との関係性にも影響を与えた